
こんにちは、大林(プロフィールはこちら)です。
先日、映画「美女と野獣(実写版)」を観ました。
(余談ですが、私は、ディズニー映画の中で、美女と野獣が一番好きです)
この映画を見て、普遍の「愛の順序」に気付くことが出来たので、シェアしますね。
目次
「愛する」方が先、「愛される」のは後
美女と野獣を観て、私がハッとされられたのが、魔女が言った次のセリフでした。
王子が人を愛し、人に愛されるという「真実の愛」を見つけなければ、呪いが解けることはない
私は、ここに、普遍の愛の順序があると感じました。
つまり、「愛する」のが先で、その結果「愛される」ということです。
愛されるから、愛する、のではないのです。
書店やテレビなどで、よく「愛され女子になろう!」「愛され女子になるには?」的な特集を見かけますが…。
この愛の順序から考えると、”愛され女子”を目指すよりも、”愛する女子”を目指したほうが、上手くいくのではないか?と感じる今日このごろです。
この観点で見ると、野獣とガストンの違いが、よりハッキリと見えてきました。
では、野獣とガストン、それぞれについて見ていきましょう。
ガストンは、「愛される」ことばかり求め続けた
映画の中で、ガストンはこんなことを言っています。
ベルを私の妻にする
父親が死ねば、ベルは私を頼るしかない
村に戻り、俺の妻になれ!
このセリフからも分かるように、ガストンは、最後まで「ベルに愛されること」を望み続けました。
口では「愛している」「好きだ」と言っていても、自分から愛することをせず、愛を奪い取ることに終始していました。
野獣は、「愛する」ことを学んだ
一方の野獣はどうでしょうか?
野獣も、最初はこんなことを言っていました。
晩餐に来い、命令だ
私を拒むなら、何も食わすな!
しかし、ルミエールやコグスワース、ポット夫人といった家臣の支えもあり、少しずつ「愛する」ことを学んでいきます
- 倒れるほどの重症を負いながらも、狼からベルを守る
- 部屋いっぱいの本をプレゼントする(気に入ったなら、全部あげるよ)
- 繊細な部分を見せる(自然と自己開示する)
こういった「愛する」姿勢が、ベルにも伝わり、”何かが芽生え始めた”のです。
愛することは、相手を自由にすること
映画の後半で、野獣は、ベルに「愚かだろうか?君の愛を得たいと願うのは」と告白します。
それに対してベルは、こう答えます
自由がないのに、幸せになれる?
この答えを聞いて、野獣は、ベルを父(モーリス)のもとに返すことを決断します。
そして、こう歌います。
彼女はもう手の届かないはるか遠くへ行ったが、目の前から消えることは決してない。
もう私から去ることはないと知っている、たとえ視界から消えたとしても。
このシーンを見て、「愛するということは、相手を自由にすることなんだ」と気付かされました。
まとめ:すべての人間関係を、「愛する」ことから始めよう
「愛する」方が先、「愛される」のは後。
映画「美女と野獣」を見て、あらためてこの”愛の順序”に気付かされました。
これは、男女間だけの話ではありません。
親子、友人、職場、すべての人間関係において、「愛する」ことが先なのです。
- 微笑みかけるから、笑顔が返ってくる
- 思いやりの心で接するから、思いやりが返ってくる
- 愛を与えるから、愛が返ってくる
私も、日々の生活の中で「愛することから始めよう」と思いました。
素晴らしい映画との出会い、そして気付きに感謝します。
得られた学びや気付きをぜひコメントして下さい。運営の励みになります^^