
こんにちは、大林(プロフィールはこちら)です。
「生か死か」のように、生死は対になっているものという考え方が一般的だと思います。
ただ、私は、生物学やスピリチュアル関連など、いろんな書籍などを読む中で、「生きる」の反対は「死ぬ」ではない、と感じています。
これについて、私の考えをシェアしますね。
目次
【図解】「生きる」の反対は「死ぬ」ではない
私は、生死を、以下のようなイメージで捉えています。
この図でいうと、「死」というのは、この世とあの世の境目の点でしかない、ということになります。
状態が変わる点でしかない、ということです。
死は、この世のゴールでもあり、あの世のスタートでもある、とも言えます。
ちなみに、ネイティブアメリカンのドゥワミッシュ族の格言にも、以下の様なものがあります。
死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。
この言葉からも、死は「変換点」だということが納得できます。
輪廻転生も、この図で説明できる
よく、生まれ変わりとか、輪廻転生とか、そういう話ってありますよね。
それも、この図を見て頂くと、よくわかると思います。
精神世界(スピリチュアル)的な話の中で、「生きている間にいろいろな経験をして、それをあの世に持ち帰る。この世は学びの場であり、輪廻転生を繰り返すことで、精神が成長していく」的な話がありますが、それとも合致する図になっています。
この世とあの世をグルグル繰り返すことで、精神が成長していく訳ですね。
「生きる」の反対は「無気力」だった
この図で言うと、私は、「生きる」の反対は「無気力」だ、と思っています。
分かりやすいように、これも図解で説明しますね。
以下の図のような、地球と月の関係を思い浮かべてみて下さい。
上図のように、月には、月そのものが前進しようとする力があります。
そして、地球がつきを引っ張る力(重力)もあります。
この2つの力が釣り合って、はじめて地球の周りをグルグル周れているのです。
では、もし、月の「前進する力」がなくなってしまったら、どうなるでしょうか?
前進しようとする力がなくなると、重力だけになるので、月は地球に引っ張られて、地球に落ちてしまいます。
そして、これは、人間の生死のイメージとも同じだと思うのです。
人間が前進しようとする力は、言わば「気力」です。
そして、中心で人間を引っ張っているのは何か?というと、言わば「地獄(無の世界)」だと私は思っています。
図にすると、以下のような感じです。
上図のように、気力がなくなる(つまり、無気力)と、地獄に落ちてしまい、輪廻転生できなくなります。
これが、真の意味での死(無になってしまう)なのだと、私は考えています。
自然界に、無駄なものはない。自分の人生を全うしよう。
自然界には、無駄なものは一つもありません。
必ず、すべてのものに意味があって存在しています。
自然界は、真空を嫌います。
真空になると、そこを埋めるために、新たな空気がそこに流れ込みます。
人間も、これと同じです。
あなたがいない世界は、空気中にポッカリできた真空のような状態です。
この真空を埋めるために、つまり、世界がより良い状態になるために、世界があなたを必要としたのです。
だからこそ、あなたを含め、人間一人一人の存在には、意味があるのです。
であれば、自分の人生の意味を全うし、精神を一歩でも成長させよう。
私はそう思っています。
先ほど、「生きる」の反対は「死」ではなく「無気力」だ、というお話をしました。
これって、「愛」の反対が「憎しみ」ではなく「無関心」だ、という話と似ていますよね。
(愛も憎しみも、その人のことを強く想っているという意味では、同じエネルギーなのです)
こういった意味で、「生きる」と「愛」は似ているなぁ、と思った次第です。
私は、「自然界は、グルグル周っているものだ」と思っています。
直線的な一方通行ではなく、円運動をしているのです。
例えば、月のような星も、他の星の周りを回っていますよね。
また、地球だって、太陽の周りを回っています。
また、宇宙学者の中には、「宇宙は、何度も収縮と膨張を繰り返している」と考えている人もいます。
(この考え方を、ビッグ・バウンスと言います)
このように、自然界は、グルグル回っている方が、自然な状態なのでは?と思います。
だからこそ私は、先ほど図で書いたような輪廻転生も、起こっているものだと感じています。
なぜ、死ぬのが怖いのか?
「死ぬ」って考えると、怖い感じがしますよね。
実際、私も怖いです。
では、なぜ死ぬのが怖いのか?
それは「見えないお化け」のようなものだと思うのです。
「死ぬのが怖い」のは「見えにお化け」かもしれない
子供の頃、押し入れにお化けがいるんじゃないか?と思ってビクビクしていた人もいると思います。
しかし、押し入れの中を見てみたら、お化けなんていないですよね。
これと同じで、「死」も、体験した人には話を聞けないので、「見えないお化け」とも思います。
案外、死んでみたら、そんなに怖いものではなくて、むしろハッピーな世界があるのかもしれません。
死を盛大に祝う民族もいる
以前聞いた話ですが、死を盛大に祝う民族がいるそうです。
その民族の人は、自分が死ぬ日が分かるそうで、その日になると、朝からどんちゃん騒ぎをするそうです。
(中には、その日に死ななくて、「あれ、俺、死ぬの今日じゃないみたい!あはは~」みたいなこともあるそうです。笑)
こういった人々は、本能的に、「死=転換点であり、恐れるものではない」と感じているのかもしれませんね。
(もし、この民族の名前が分かる方がいたら、教えてください)
まとめ
死は、ネガティブなイメージが強いですが、案外そうではないのかもしれません。
よくよく考えたら、永遠に生きられたら、それはそれで問題があるのかもしれません。
例えば、「いつまでにこれを成し遂げたい!」みたいな気持ちも、出てこなくなってしまうかも。
そういう意味では、死というタイムリミットがあるからこそ、人はいろいろな業績を残せるのかもしれませんね。
(とは言いつつも、私もまだまだ、死は怖いです。笑)
死が、もっとポジティブな感じで受け入れられたら、どんな世界になるのだろう?
そうなったら、精神の成長に、もっともっと集中できて、いい結果になるんじゃなかろうか。
そんなことを考えている、今日このごろです。
母を亡くして気力を失いそうになりましたが、死の捉え方に救われました。ありがとうございます。
カナザワ様
コメントありがとうございます。
少しでもお役に立てたようで、光栄に思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
大林